こんにちは。河井です。
今日はイクメンについて書いていきたいと思います。
僕自身こんなことを書いていますが、ほとんど出来ていないのですが、偉そうに感じていることをつづってみました。
小さいお子様がいらっしゃるパパの参考になれば幸いです。
ちなみに、ママ目線で書いているわけではなく、こういうことしたら喜んでくれた、褒められた的なことをまとめているにすぎないので、ここは違うよというママさんのご意見がございましたらTwitter等でご返信ください。
×子どもと一緒に遊ぶのがイクメンパパ
◯子どもと一緒に遊んで元にあった場所におもちゃを一緒に片づけるのがイクメンパパ
×家族で一緒に外食するのがイクメンパパ
◯子供を座らせてアルコールで手を拭き、机を拭き、自宅から持ってきた子ども用のお箸、フォーク、スプーン、器を並べて妻の労力を減らすのがイクメンパパ
×家族で一緒に外食するのがイクメンパパ
◯労力を減らした後、生ビールと妻のドリンクを注文すると同時に、子どもたちが食べるであろう、お子様プレートもしくは、おにぎり、卵スープ、唐揚げ、ウィンナー、出汁巻タマゴ等、とりあえず子どもが食べそうなメニューを注文し、先に持ってきてもらうことを伝えるのがイクメンパパ
×家族で一緒に公園で遊ぶのがイクメンパパ
◯家族でどこかに出かける前に、ママが一人で化粧できるように子ども達を公園に連れ出し時間をつなぐのがイクメンパパ
×抱っこひもで抱っこして歩くのがイクメンパパ
◯抱っこひもで抱っこするのは妻の骨盤と腰と肩のことを考えると当たり前の行為で、抱っこひもするタイミングなどを考え夕食の外食時のタイミングで下の子をベストなタイミングで寝かしつけ、ある程度、理解力のある上の子どもとママがゆっくりご飯を食べれるようにし、抱っこひもをしたまま食事をするのがイクメンパパ
×ベビーカーを押すのがイクメンパパ
◯ベビーカーを押すのはそんなにしんどくないので、電車の乗り降りの際に率先して手伝ったり、タクシーを乗ったりするときに要領よくかけている荷物をピックアップして折りたたんだり、押すのに邪魔になる荷物を持ったりするのがイクメンパパ
×家族のために料理をふるまうのがイクメンパパ
◯家族のために料理をふるまうのは自己満足なので、最後まで片づけをした後に、何なら子供たちのまぐまぐのストローの部分も細いスポンジ的なもので洗い上げるのがイクメンパパ
×子どもたちをお風呂に入れるのがイクメンパパ
◯子どもたちを湯船に入れている間に、真冬でも震えながら先に体や頭を洗い、頭を洗っている間も、湯船で事故が起こっていないか確認するために、シャンプーが目に入りながら片目を開けて見守りつつ(そんな中、息子からの水鉄砲が目に入りつつ)、次に子どもたちを順番に要領よく洗い、3人一緒に上がって、3人一緒に体をさっと拭き、子どもたちのお着替えをさせるのがイクメンパパ
×いつもお疲れ様とマッサージしてあげるイクメンパパ
◯子どもたちを日中預かり、120分程度のマッサージを予約して上げ、なんなら美容室とかカフェも行ってリフレッシュしてきたらと言いはなち、11時~18時くらいまで子どもたちを面倒をみるのがイクメンパパ
×夜遅く返ってきても、朝に子どもたちと遊ぶイクメンパパ
◯夜遅くに返ってきても、息子のフライングニードロップされて起床し、幼稚園に行くまでの日課である、トイレをさせる、体温を測る、着替えさせる、下の子のオムツを変える(だいたいウンコしてる)などの準備をママに変わってして上げるのがイクメンパパ
×休日に掃除や洗濯等をしてあげるのがイクメンパパ
◯風呂掃除、トイレ掃除をするのはいいものの、妻のこだわりがある場合はそれを任せて、洗濯ものを干す時に子どもが洗濯物を荒らしたり、たたんだ洗濯物を一つずつキレイにまるで仕事かのようにグチャグチャにしたり、僕もする!とかいいながらトイレの中に手を突っ込んだりしてくるのを防ぐために、一人でゆっくりと家事をできるように公園に連れていったり、部屋で遊ぶのがイクメンパパ。
×夜遅くまで仕事をしてしっかり稼いでくるイクメンパパ
◯稼ぐのは当たり前なので、今日あった子どもたちの出来事、どういう幼稚園に行くべきか、どういう習い事をさせるべきか、ママ友とのできごとについて耳を傾けてあげるのがイクメンパパ
×イクメンパパ
◯「家事」は法律により「労働」として認められており、仮に離婚することになった場合、貯金額などの財産は完全に折半することになっていることを考えていると、専業主婦でも「労働」をしているわけで、もちろんパパも「労働」をしているわけなので、そもそも「イクメンパパ」という言葉は「育児している珍しいパパ」的な雰囲気になりがちだが、そもそもお互い労働しているので、二人で育児をするのが当たり前なわけで「イクウーマンママ」という言葉がないように「イクメンパパ」という言葉があること自体、おかしいと認識すべき。